友達が欲しいと感じる理由
昔から漫然と自分は友人が少ないと思ってきた。昔は少ないという事実そのものが自分が他者にとって魅力ない人間である証拠だと思って悲しくなることもあった。しかし、大学生の頃からその事実を受け止め、魅力的な人間に少しでも近づこうと努力してきた。ひさしくそもそも何で友達を求めてしまうのかを考えることはなかったが、今その問いが再び頭に上ってきている。
何でなんだろう。
• 友達と楽しい時間を過ごしている時の一体感が忘れられない
• 同じ問題意識で話すのが心地よい
• 友達がいないこと=自分に価値が無いという考え
• 複数人でしかできない遊びがある、かつ、それを気心知れた人間とやりたい
つまりそれは、1人でいることと比して、友達と過ごす時間の方が楽しいということなのか。ならば、1人で人生を楽しむ方法を極めれば友達が欲しいとは思わないのか。
いや、違うな、1人遊びを極めてもたまには友達と話したい、感情を共有したい気持ちは残るよな。1人遊びの楽しさもあるけど、別種の友達と遊ぶ楽しさもあって、そのニーズは消えないのではないか。
友達がいれば困った時助けてくれるという話がある。卑近な例を出せば、法律問題で困った時、弁護士の友達がいれば気軽に相談に乗ってもらえる。そして、友人であればある程度の信頼関係があるはずだから、信頼できる弁護士を探す手間が省けるし、悪徳弁護士にに騙される可能性は限りなく低くなる。では、助けが必要無いほど経済的、精神的に自立していれば友達は必要無いのか。優秀な弁護士を探す/雇う経済力があれば、弁護士の友人は不要では無いか。
こう考えてみると、経済的精神的に自立しておらず、人生の1人での楽しみ方を知らない人が友人を欲しがると言えそう。頭脳鋭敏で、出世街道を進み、自分のいわゆる「趣味」をもっている会社の先輩が友達とあんまり戯れたがらないのも理解できる。
まとめ。
- 友達を欲しがるのは精神的経済的に自立していないから。自立すればするほど友達を求める度合いは低くなる。
- 仲のいい友達と楽しい時間を過ごす時の一体感は忘れ難いから。
ではどうすれば友達を求めなくなるのかって?経済的精神的な独立を定義するのは難しいけど、少なとも友達を得られた時だとは言えそうだ。
では、友達とは?